チベット応援団ブログ 稲葉香さん(美容師、登山家)前編
タシデレ!
チベット応援ブログ、今回のゲストはヒマラヤに通う美容師、登山家の稲葉香さんです。稲葉さんは大阪を拠点に美容師として働く傍ら、河口慧海師の足跡を追ってチベット、ネパールに通い続け、2年前には北西ネパール最奥の地、ドルポで4か月間の越冬を敢行。2020年、国際的に活躍する冒険家に贈られる「植村直己冒険賞」を受賞されました。美容師としては、大阪市内の店舗に続いて2店目となる美容室「Dolpo-hair千早店」を千早赤阪村にオープン!
今回の前編では、慧海師との出会いからネパールで得た価値観の変化、その後の日本での生活についてお話をうかがいます。
河口慧海師と運命の出会い
共通点は「リウマチ持ち」
河口慧海師が越境したチベット国境 クン・ラ
チベット文化圏に関してどのような活動をされていますか?
20年近く前のカイラス巡礼からチベット文化圏通いが始まりました。
活動としては河口慧海師(※かわぐちえかい/チベット語の仏教原典を求めて日本人として初めてチベットの入国した僧侶、学者、探検家)の足跡を辿ることがメインですね。それを機にネパールのドルポっていう地域にすごくハマって、夏から秋にかけて4回滞在した後、2年前に1シーズン、ドルポで越冬をしました。
河口慧海師の足跡ってまだ解明されてない部分があって、どんどん自分の中で「どんなルートを進んだんだ?」「もっと中に入ってみたい」って追求したい気持ちが膨らんできて。最初は個人的に楽しんでいたんですけど、2007年西北ネパール登山隊の故大西保隊長や高野山大学の元教授・河口慧海研究者の奥山直司先生、そして故高山龍三先生(文化人類学者・チベット文化学者・河口慧海研究者)にお会いして、核心部のドルポに入りチベット国境ラインに入ることが出来るようになりました。そして、以前に師匠達が結成していた河口慧海師の進んだルートを調査する「河口慧海研究プロジェクト」を再結成しませんか?と声をかけました。それが去年ですね。
あとは個人的にも西ネパールに通っていて。西ネパールってガイドブックにほぼ載ってないんですよ。情報量がかなり少なくて、登山隊くらいしか行かないエリアなんですけど、大西隊長の登山隊に出会えたおかげで私も行くことが出来るようになりました。大西隊長をはじめとした師匠たちはもう皆さん亡くなってしまったんですけど、この方々のおかげで私が西ネパールに入ることができました。
河口慧海さんとの出会いは?
私、慧海さんのルートを追う前から旅をしてたんです。普段は美容師をしてるんですけど、フリーランスなので年間1カ月絶対休んで旅に出るって決めていました。
旅をする中で植村直己さん(登山家、冒険家。日本人エベレスト初登頂者)の本を読んで、すごいハマったんです。植村さんが登った山を見たい、行ったところに行ってみたいっていう、追っかけみたいなことしてるんですよ(笑)。そんな中で、ネパールにトレッキングに行こうと思い立ちました。私はリウマチで足が悪いんですけど、行けることまで行こうって。みんなに止められたけど、実際に行ったら山が本当に目の前にあって。山が近い世界なんて行ったことなかったから、体がガンっと開花したんですよね。痛みが消えたんですよ。ネパールって凄い!山って凄い!って思いました。
その時、ネパールのエベレスト街道に行きました。街の市場にチベット人が来るんですけど、初めてチベット人を見た時に、彼ら凄い目をしてたんですよ。「え、何あの野生の目は?」って思って。すごい気になってて、帰ってきてからネパールとチベットを調べてて、その中で河口慧海さんを見つけたんですよ。
私はリウマチっていう持病を持ってますけど、慧海さんもリウマチだったんです。
私は18歳で病気になって、いまだに痛くて歩けなくなる時もあるんですけど、20代は特に大変でした。そんな時期に慧海さんの本を読んで、「え!リウマチやったんや!」って。痛くて歩けないとか、脚が痛くて杖で支えていたら今度は手が痛くなる、みたいなことが書いてあって、「同じやん!」みたいなね。嬉しかったと同時に勇気が湧いたんですよね。100年以上前に、今も治る薬がないリウマチを抱えながらこんなことをしてたなんて凄い!って思って。もう私のアンテナがビョーン!って、ブルブルブルー!って(笑)。これはもう行きなさいって言ってるんやな。じゃあ次はチベット行こう!って思って。慧海さんが日本人で初めてカイラスに行ったって書いてあって、じゃあカイラス巡礼に行こうかな、みたいな。勝手に運命感じてね(笑)。それが出会いですね。
私がやらなければ!という思い
新・河口慧海研究プロジェクトを結成した時、奥山直司先生と一緒に。
どうして河口慧海師が歩いた足跡を辿るようになったのですか?
さっき言ったとおり、河口慧海師の足跡は解明されていない部分がたくさんあるんですよ。日本山岳会の関西支部で、河口慧海師の歩いたルートを解明する「河口慧海研究プロジェクト」っていうのが2004年に結成されたんです。でも大西隊長はその前からネパールに入っていて、かつて慧海さんをはじめとした探検家たちが歩いたルートを辿っていました。
私もそれを追い続けようと思ったんです。当時はネパールもチベットもザックリ全体的に歩いていて、私の中ではそれで十分満足してたんですけど、2014年に1番の師匠の大西さんが亡くなって、その1週間後にも大西さんの先輩にあたるドルポの大御所の方も亡くなられて、さらに2016年にはドルポの全土を自分の読図歩いて帰ってきたタイミングでまた一人亡くなってしまった…。そして、今回の2019年のドルポ越冬で私が行っている間にも、慧海さんの研究者の先生が亡くなったんですよ。みんな御高齢だからどんどん亡くなっていく中で、ちょっと危機感感じたんです。今の情報って、本やwebだけでしか残らないじゃないですか。でも本じゃなくて、リアルに言葉とか、その時のその方が話される表情とかから、やっぱりすごいものを感じるんですよね、リアルを見てるから。もっとそういう話を聞きたいって思ったんです。
チベットでの慧海さんの足跡を研究されている登山家の和田豊司氏(日本山岳会東海支部・元支部長)が名古屋にいるんですけど、和田さんが大阪にわざわざ来てくれて、地図を渡してくれたんです。「これは僕が思うチベット側のまだ調査できてない地域で、ここが国境ラインで…」って、慧海さんがここを歩いたであろうと思うルートを地図上に描いたんですよね。それをくれて、お前が行って来いと言ってくれて。めちゃくちゃ嬉しかったですね。
チベットに行くとなると中国は色々厳しいからちょっと心配だったんですけど、この先生が元気で何でも聞ける、聞いてもらえるうちに早くやらな!って。自分もどんどん体力低下してきてるし、そんなのんびりしている時間はないぞと。で、次の月に今度は私が名古屋に行って、「一緒にやってください!」ってお願いしました。高野山大学の研究者の教授の先生にも伝えたらすごい乗り気になってくれて、やりましょう!って。去年の秋にみんなで集結して、「新・河口慧海研究プロジェクト」が再結成されました。
あと、2018年には慧海さんのご親族から突然連絡をいただいたんです。さらに慧海さんのいろんなものを引き継いだのご親族にもお会いしたんですけど、その方は「思いを持って引き継いでくれる人が私で終わってしまっているから、あなたみたいな人がいてくれるとありがたい」って言われて。私は好きで楽しんでいただけなんですけど、めちゃめちゃ応援していただいて。なんかこれはもう私がやらなければ!みたいな世界に入ってきてるんですよ(笑)
マイルールは「好きなことしかやらない」
リウマチのおかげで気がついた人生の価値
ドルポの伝統的なヘアースタイル
チベット文化圏にずっと通われている中で、ご自身の中に変化はありましたか?
美容師をしていて、外見を綺麗にするっていうのを当たり前のようにやってきたけど、チベットのカイラス行った時に会った人たち、みんなもう鼻水ガビガビで顔洗ってないとか砂まみれとかそんな状態なんですよ。でもめちゃめちゃ美しく見えたんです。輝いて見えて。えーなにこれ?って。今までそんなこと思ったことなかった。内側から出る美しさっていうものを、チベット人から凄く感じて。
チベットには約1か月滞在しましたけど、本気で祈る世界っていうのを初めて見たんですよね。日本で普通に暮らしてたらたまにお寺とか神社とかに行って祈るくらいの感覚しかないから、信じる強さっていうのを凄い感じて。そこで日本に帰ってきた時に、物の価値観もお金の価値観も違って、お金でいろいろ決まる世界とか、外ばっかり気にする世界がめちゃくちゃ嫌になりました。30歳の時ですね。今までかっこいい、かわいい、美しいって思ってたものが崩れたんですよ。チベットの人たちから、内側から湧き出る強さ、美しさ、祈る気持ちっていうのを感じてしまったから。それから自分の価値観も変わって、山に移住しました。山ならあの時の感覚に近いかなって思って。山岳民族みたいな環境下に自分も身を置きたい、低エネルギーで住みたい、自然をダイレクトに感じる生活というか。
美容師は続けていたけど、遠征行くのが面白すぎて美容師の面白さが見いだせなくなっていた、店の売り上げも落ちちゃって。でも私を面白いと思って来てくれてるお客さんはいて、その人たちとのつながりは切りたくなかったんですよ。その時に、美容師続けるならヘナをやりたいなって思いついて。インドの草木染のヘアカラーですね。
ヘナは自然由来で体にもいいし、身体に働きかけて内側から綺麗になるっていうのがチベット文化圏で学んだことと一致して、これはいいやん!って。美しさっていうのはそういうものや!と思ってたことが仕事にやっとつながって、なおかつヒマラヤにも行きやすくなったっていう。まさにこれ!みたいな。去年から実際にヘナを本格的にやり始めて、やっと気持ちがスッキリしましたね。
私は脚が悪いから、あと何年歩けるやろ?っていう危機感は常にあるんです。ということは早く行かなくちゃって。お医者さんにいつも「君、ちゃんと人生考えなさい!」ってよく言われるんですよ。長期遠征行きたいからって揉めて、「もう薬渡されへん」「じゃー持ってかないです」みたいな。(笑)
私は高所に上がったら元気になるっていう体感をしてる。リウマチって免疫異常の病気なんですけど、4000m~5000mの高地ってなんだか免疫に働きかけてる感じがして、すごく調子よくなるんですよ!
最初は色んな先生とぶつかったし、高所で体調良くなるっていうのは西洋医学だとなかなか認めてくれないんです。最近は論文になって出てる分野もあるんですけどね。論文がなくても私は自分で体感してるので何よりも強いです。
もう人生を変えてくれた場所ですね。感謝です。
活動を続けていく中で、苦しかったことや迷うことはありましたか?
美容師の学校に行ってる時にリウマチになって、もう手脚が痛くて痛くて。美容師は手を使うから、働き出して数年で心も体も付いて行かなくなって、いったん辞めて旅に出たんです。
18歳でリウマチになって、24歳で旅に出てベトナムで戦争の跡を見たりして、自分は今の時代に生まれたのってすごく恵まれてるんだなって解って。日本にいるのもね。旅に出て、色んな環境があるんだなってことが分かったおかげで逆算人生になりましたね。山歩いてても体力っていうより病気の感覚で、若い時と違うなぁって。思いっきり動ける時ってそんなにないぞって思ったりね。病気のおかげで「人生って大事な時間やな」って思うようになったんです。
24歳の時に決めた自分の中のルールは、「好きなことしかやらない」ってこと。それも100%を越えることしかやらない。だから旅も「ここに行きたい!」って思ったら、意味はなくても行く。そしたら河口慧海さんにも出会って、それがどんどんこんなことになって…。
だからこの数年で起きたことは、自分のアンテナを信じていこうって思わせてくれましたね。そんなんだから経済的には不安定なんですよ。もうちょっと安定したいわって思ってるんですけどね(笑)。でも今回植村直己冒険賞いただいて、「あ、これでよかったんやな」って。私は植村さんの大ファンで、植村さんのおかげで山に出会えたんですよ。会ったこともないけど心の師匠みたいに思っている人の賞をいただいて、このまま行け!辞めるな!って言われた感じで。私は今年49歳なんですけど、残りの人生そこに捧げよう!みたいな風に思わせてくれた。師匠やご縁のつながり。ご縁だけで活かされてるような感じだけど、それが一番大事なんかなぁって。
なんかねー、すごい面白い運命ですよ。
(つづく)
次回はドルポでの越冬についてお話を伺います。お楽しみに!
稲葉香さんイベント情報
【映画&トーク】『ボク達ハ同じ地球の上で生きている 〜秩父・鬼石編』
ボク達ハ同じ地球の上で生きている
第二弾 6月11日㈯12日㈰ 秩父・鬼石編
詳細は稲葉さんのブログにてご確認ください。
稲葉香さん プロフィール
稲葉香(いなば・かおり)
ヒマラヤに通う美容師。美容師の傍ら、1997年から旅に出るライフスタイルを続ける。
ベトナムから始まり東南アジア・インド・ネパール・チベット・アラスカを放浪し、旅の延長で山と出会う。 18歳でリウマチが発病し、山に登るなど想像も出来なかったが、ヒマラヤトレッキングにより自然治癒力に目覚め、山を登るまで復活した。 再発と復活の繰り返しの中、河口慧海師の足跡ルートに惚れ込み歩み続け2007年 西北ネパール登山隊(故・大西保氏)の遠征の参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。 以来、 数々の高峰に登頂、ネパール各地を踏破。
2019年11月~2020年3月、ドルポでの122日間に渡る越冬を達成。2020年、第25回植村直己冒険賞受賞。
現在、大阪唯一の村・千早赤阪村を拠点に、都会と山生活とのバランスを保ちながらヒマラヤに通っている。
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