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チベット応援団ブログ 稲葉香さん(美容師、登山家)後編

タシデレ!

今回のゲストは前回に引き続き、美容師、登山家の稲葉香さんです。稲葉さんは大阪を拠点に美容師として働く傍ら、河口慧海師の足跡を追ってチベット、ネパールに通い続け、2年前には北西ネパール最奥の地、ドルポで4か月間の越冬を敢行。2020年、国際的に活躍する冒険家に贈られる「植村直己冒険賞」を受賞されました。美容師としては、大阪市内の店舗に続いて2店目となる美容室「Dolpo-hair千早店」を千早赤阪村にオープン!

後編ではドルポでの越冬や、以前の遠征中についてお話をうかがいます。

旅を支える山岳民族たち

「またシェルパと行くのか!」

フムラ遠征中、キャラバンを組んだ

遠征をサポートしてくれる山岳民族たちとはどのように過ごしていますか?

山岳民族というとシェルパ族が有名ですけど、実はライ族やタマン族もガイドやポーターをやってるんですよ。でも、今の若者は弱くなっちゃったね。インターネットが普及して、海外情報をどうしても知るじゃないですか。外の世界のことを知って、ここを出たいって人は増えましたね。昔は自分の暮らしを大事にしてたけどね。シェルパっていうネームバリューで仕事は入ってきやすいけど、実際に一緒に行ったら全然出来ないとか、ノウハウも経験も無いっていうことがあるんですよ。一緒に歩いて、仕事見てたらわかるんですよね。

私が最近一緒に行ってるのはタマン族やグルン族やライ族の人。その中に大西隊長が過去に一緒に行ってたメンバーがいるんですけど、その人たちはもう強いし仕事を全部伝授されてるから、全然違うんですよね。頼もしい。だからシェルパだからできるとか、タマンはダメとかってそんなの全くなくて。よく彼らに言われますね、「またシェルパと行くのか!」みたいなことをね()

私も最初そんなこと知らなかったから、「このタマン族の子と、このシェルパの子で一緒に行けたら都合が良いなー」っていうのがあったんです。でも民族が違うからやっぱりちょっとっていうのが、本人たちにはあるんですよね。人柄、性格にもよると思うんですけど。色んな民族でまとまって行った時も、よくよく見たらやっぱり。後で聞いたら、「やりにくかった。グルン族同士で行きたかった」って。そういうのもあんねや~って感じましたね。

長期で行く時は、ガイドさんだけは何でも話せる人を連れて行くんですよ。大西隊長は信頼できる子を何人かカトマンズから連れて行ってたんですけど、私はそこまでの予算がないから現地で手配してます。そうすると、やっぱりちょっと、うーんってことが起きるんですよね。そういう時はちゃんと文句言わないと逆になめられて、お金をどんどん高く言われたりすることもあります。

私も結構強引なところに行くから、彼らも「もうこの先は行きたくない!」って言ったりしますね。そしたら「じゃあ君たちはここで3日間待ってて。私は奥に行ってくるから」って。嫌だって言ったら無理やり連れて行かずにオッケーにして、ガイドと2人で行ったりするようにしてますね。私にも責任があるから、彼らになんかあったらまずいしね。

でもここの山を越えないといけない、ここのルート行きたいっていう時もあるので、それはもう説得です。地図見て、「きっとこの辺に湖があるからそこから水を取ろうよ~」とか「ここで寝られるよ~」とか、優しくプレゼンする()。そしたら、なんか行けそう!みたいに思うじゃないですか。でもそれでいざ出発したら、彼ら全然違う所行くんですよ。「ちょっと待ってー!」みたいな()。で、なぜか思いっきり怒って帰ってくるんですよ。「寒いやんけ!お前の言ってたことと違う!」とか言って。「そっち行け言ってないやん!なんで登ってんねん、北やろ北!」とかね、もうね、笑けてきますよ。

ガイドと揉めることもあるんですよ。そういう時は現地のサポートの子らが逆に「大丈夫?」って心配して迎えに来てくれて。真っ暗闇でとぼとぼ歩いてたら懐中電灯持って、闇から歩いてきて。もう表情見てわかるんですよ、お前大丈夫か?みたいな。そこまで言葉わかんなくても、出来ないなりのジェスチャーで伝わってきますね。川を渡る時、激しくてどこを渡ろうかと思ったら先に行ってくれて手を出してくれたり、大きな岩を登り上がれない時も上から不意に引っ張ってくれたり。山の人って危ないのがわかってるから、絶対見捨てないっていうか。現地の子らのそういうのは感じますね。

 

吹雪の中生きるドルポの人々

「この土地は素晴らしい。あなたたちは凄い!」

ドルポ越冬中、拠点のサルダン村。借りていた部屋の屋上から。

ドルポってどんな所?魅力は?

この地域は平均標高が4000mで、周りを5000mに囲まれているのでネパール側からは峠を越えないと入れないんです。チベット側からも5000m超えないと入れないんですけど、チベット側は山じゃなくて高原だから、車で走ってこれるような状態なんですね。だから今は物資が入りやすくなりました。昔はキャラバン組んで、チベットから塩を運んで南の穀物と物々交換してました。最近は、夏にチベット国境で市場のようなものがあって、そこで一気に購入することが出来るようになったので生活が変わりました。ドルポは今はネパール内だけど、18世紀後半まではチベットでした。チベット・ネパール戦争の後、ムスタン王国と共に、ネパールに組み込まれました。中国は入ってこれないからチベット文化が濃く残っているのでしょうか、そう感じますね。

ドルポに行くには、カトマンズからバスで1日南に走ってネパールガンジまで行って(※国内線もあります)、そこからドゥネイっていう所に国内線で入るんです。ドゥネイはもうロードルポになるので、そこでキャラバンを組んで8日間歩いて、5000mの峠を2つ超えてドルポに入るんです。

サルダンっていう村を拠点にして、ドルポを歩き回りました。サルダンまではポーターを雇って荷物を運んでもらったんですけど、ずっと雇い続けてたらどんどんお金かかるじゃないですか。彼らの食料もいるし、費用も膨れ上がるから、削減出来るところは削減したい。それに、現地の人らみたいに過ごしたかったんです。自分の荷物は自分で担いでっていうのをやりたかったから、ガイドと一緒に持てる物は全部自担いで隣の村行ってみたり、10日間くらい散策しに行ったりとかを何回かやりました。

寒さはもう本っ当に寒いですけど、覚悟してたよりはマシだったかな。テントの中で-18度だから外は-20度とか。雪もどれだけ降るか楽しみにしてて。雪の重みでテントのポールが折れたりして、「わー折れたわー!」って笑ってたらガイドに「お前何笑てんねん」って怒られて。風も強いからテントがすごい揺れるんですよ。「わーすごい揺れてんなー!風きついわー」って寝ながら動画撮ってたらね、「お前何してんねん、やばいで!」って怒られて。夜中起きて雪かきしたりしてましたよ()

吹雪になっても窓から見てて「外行きたいわー、みんな何してんのかなー」って。あんまり物凄い吹雪だと無理ですけど、これくらいなら行けるかなって時に「ちょっと学校まで行こうや」ってガイド誘って、新雪の吹雪いてる中、村の学校まで行ったりして。みんなやっぱり家の中にいるから、「誰もおらんわー」って写真撮ったりして。でも学校行ったらね、子供たちがいたんですよ。寒いのに暖房のない部屋でキャッキャキャッキャ勉強してて。

昔は冬だから先生もいない、寒すぎるから学校も閉まるって村もあったんです。でもこの村は海外の援助が入ってて、先生にもちゃんとした給料が少なからずあるらしくて。先生は違う地方から来るけど、冬だけはもう寒すぎるから来ないらしくて。だから冬の間は村の人が先生をやってるって言ってました。

でも支援のない学校もまだまだあって、そういう学校は給料は出ない。「給料ないやん!」「せやねん、給料無いねん。でも教えてんねや」っていう。そういう所もまだありましたね。

修行僧と一緒に雪かき。このあと、テントポールが雪で壊れた

現地の方と交流する中で心に残っていることはありますか?

僧侶の家に泊めてもらったことがあって、そこに10歳の修行僧の男の子がいて。隣村から来た修行1年目の子で、その子のことは今でも気になりますね。

私は彼らの家の敷地内でテント張らせてもらってたんですけど、寒すぎるからテントの中を覗きに来て「大丈夫?生きてる?」みたいな()。彼は毎朝ヤギを放牧させて水汲んで、時間あったらお経を読んでっていうのをずっと繰り返してるんですけど、すごい吹雪いてる時に「わーカメラ持って外行こ!」って用意してたらその少年がヤギ連れて出てきて。「うわぁこの吹雪でも行くんか!」って、ずっと見てたんです。

新雪が積もってフカフカになってて道も見えないんですけど、ヤギを先に行かせて。そしたらヤギが雪を踏み固めて道がバーッて出来てくるんですよ。急な坂を谷底まで下って、谷底の川で水汲むんですけどね、みーんな雪被ってて、川もけっこう凍って雪が積もってるんですよね。どうするのかなって思ってたらそこも全部ヤギに先行かせて、そしたらまた道が出来て、「うわーすごい!ヤギがラッセルしてる!」って。

水を汲み終わって、「重そうだけど最後の登りどうすんねやろ?手伝ったら邪魔やし」って見てたんですけど。最後の急坂の凍った部分は、杖に鉄をつけたような道具を氷に突き刺さして氷を砕いて道を作ってました。氷をカーンカーンって砕いて、自分の足場を作って一歩登って、また砕いて、氷をどかして、登って、、、急坂を重たい水背負いながらね。10歳ですよ、もう参ったね、あの姿には。こうやって水汲んでんのかーって。今ちょうど一番厳しい季節やから、今もやってるんでしょうね。毎日ですからね。

なんかね、ドルポ行くと「こんなところ来ても寒いし友達もおらんやろ、何が楽しいねん」みたいなことをよく聞かれるんですけど、「いや、君たちが凄いんやで」ってことを言うんですよ。「この土地が素晴らしいと思うし、あなたたちは凄い。かっこいい、美しい」ってガイドを通して伝えるんですけど、「えーなにがいいの、こんな田舎」みたいな。特に年配の方。写真撮ろうとすると、「嫌や!」って。私は格好いいと思うから撮りたい、美しいと思うから撮りたいって言うんですけど、「いやーもうこんなシワシワの顔撮らんといて!」って。なかなか通じなかったですね。

同年代の人もいたんですけど、標高高くて乾燥してるからみんな肌がシワシワなんですよ。「年同じやのに、なんでそんなツルツルな肌してんの?ええもん食べてんねやろ」とか言われて。そういう美しさってのが、伝わらないのよね、なかなか。

みんな最近は海外行ったりするから…自分たちの文化を守っていきたいっていう意識がある人も中にはいましたけど、やっぱり薄れていってますよね、どこの場所もそうだと思うんですけど。だから消えゆく文化を見て写真で残しておきたいって思いますね。そしたら最近なんですけど、私のドルポ好きが彼らに伝わって、「外国人がドルポの素晴らしさを伝えてくれたら、現地の人も喜んでそれが伝統を守ることにも繋がる」と言われたんです。これはすごい良かったですね。

私のチベット料理「ツァンパと蕎麦パン」

蕎麦パンと唐辛子

最後に、現地で印象的だった料理を教えてください。

ドルポでの食生活はすごいシンプルで、ツァンパを毎日食べてました。その土地によって粉の味が違うんですよね。その村で今ゴリゴリ挽いたやつを買ってそのまま食べるのが美味しいです。行動食にも合うし、粉だけでも美味しいですよ。

ツァンパを食べてると、ガイドやポーターの反応がいいんですよ。「なに食べてんのー」って。アルファ米が入ってたジップパックを再利用してツァンパを入れていたので、「袋は日本やけど中身ツァンパやでー」って。「おおー」って()

甘いものが好きだから砂糖を入れて食べるのが一番好きかな。お茶はたまに入れてたけど、砂糖だけ入れて粉のままわーってかき込んで食べて、顔真っ白になるみたいな。それ見てると現地の人たちは嬉しそう。「何してんねん」みたいな。

あと思い出は蕎麦パンかな。蕎麦パンもよく食べてましたね。蕎麦パンに唐辛子を、バターか!マヨネーズか!ってくらいにつけて食べるんですよ。日本では絶対やらないですけど。パンチがほしいから唐辛子をねちょーってつけて。やっぱり唐辛子ないとなーってつけて食べて下痢するっていう()。でも、クセになるんですよ。

 

現地の人々との交流や山岳民族同士の関係性など、遠征のリアルな光景を生き生きと語ってくださった稲葉さん。笑いっぱなし、驚きっぱなしのインタビューでした。

稲葉さんのこれまでの遠征をまとめたご著書「西ネパール ヒマラヤ最奥の地を歩く 〜ムスタン ドルポ フムラへの旅〜」(彩流社)も好評発売中です。遠征のもっと詳しいお話を知りたいという方は必見です!

稲葉香さん、ありがとうございました!

稲葉香さん プロフィール

稲葉香(いなば・かおり)

ヒマラヤに通う美容師。美容師の傍ら、1997年から旅に出るライフスタイルを続ける。
ベトナムから始まり東南アジア・インド・ネパール・チベット・アラスカを放浪し、旅の延長で山と出会う。 18歳でリウマチが発病し、山に登るなど想像も出来なかったが、ヒマラヤトレッキングにより自然治癒力に目覚め、山を登るまで復活した。 再発と復活の繰り返しの中、河口慧海師の足跡ルートに惚れ込み歩み続け2007年 西北ネパール登山隊(故・大西保氏)の遠征の参加をきっかけに西ネパールに通いはじめる。 以来、
 数々の高峰に登頂、ネパール各地を踏破。

2019年11月~2020年3月、ドルポでの122日間に渡る越冬を達成。2020年、第25回植村直己冒険賞受賞。
現在、大阪唯一の村・千早赤阪村を拠点に、
都会と山生活とのバランスを保ちながらヒマラヤに通っている。

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